名機YS-11 (前間孝則さん)

あまり記憶が定かではないが、僕はYS-11に乗ったことがある。
まだ日応寺の現:岡山空港ではなく、岡南飛行場が岡山空港だった頃の話しだ。岡山空港(岡南)が昭和37年に開港し、昭和63年に新空港の運用がはじまったことからも、かれこれ20年以上前の話しになる。生まれてはじめての飛行機で岡山から羽田に飛んだ。離陸直後に翼から白い煙が出ているのを発見し、慌てて親に伝えたところ「雲だ」と言われ、周囲から視線を向けられたことを想い出す。羽田空港も、「第一」「第二」どころか昔の黒っぽいターミナルしかなく、当時はターミナルの目の前に東急ホテルがあった。今は そのターミナルも東急ホテルも跡形無く撤去されている。そう言えば、生まれてはじめてのモノレールにも興奮した記憶がある。

昨年、「YS-11が日本の空から消える」という報道を見て、懐かしくも寂しく思ったものだ。東京に出張に行くたび、大型ジェット機の間をチョコチョコと動くYS-11を見かけては「まだ頑張っとるのぉ」と、心の中で唯一の国産旅客機にエールを送っていただけに、本屋で偶然みかけたこの本に、YS-11の記憶を少しでも僕の中に留めておこうと思わず手にした経緯である。正式なタイトルは「名機YS-11 零戦から生まれた国産旅客機」である。

高度経済成長期のいけいけムードの中、日本初の国産旅客機として開発され、短い滑走路(岡南飛行場は1.2km)でも飛ぶことができる「名機」であるという、華々しいイメージしか僕自身 持っていなかっただけに、読み進める中で あまりにも「影」や「負」の部分が多いことに大変驚かされた。例えば、YS-11の開発過程で製造サイドの「通産省」と、運用サイドの「運輸省」の覇権争いがあったこと。その覇権争いにより日本航空はYS-11を購入しなかったこと。結局 開発過程に運用サイドの意見が採り入れられなかったことから、納期後に猛烈なクレームによる地道な品質改善が行われ、当初「地におちたアヒル」とまで言われたYS-11が やっと「名機」にまで成長したこと。国産旅客機と言いながら、エンジンはロールスロイス製、電子機器の大半が海外製だったこと。通産省絡みの持ち株会社で飛行機の製造を行ったことから経営センスと責任の所在が無く、1機製造する毎に1億円の赤字を出してたこと。「名機」に成長したノウハウを活かした次期航空機開発を行う途上に政治的判断により本プロジェクトが解散したこと。YS-11がハワイやブラジル、ザンビアなどにも輸出され、その後 名機故に日本の航空各社が輸出機を買い戻した「出戻り機」が存在すること。 などなど。

名機は最初から名機だった訳ではなく、「始めての旅客機開発」という手探り状態のなか 「国産」という何にも代え難い合い言葉と強い愛着をもって現場の関係者全員がYS-11に関わった結果 手にした称号だったと理解した。しかし、名機に至った本当の価値を「政治」が理解してくれなかったことは残念なことだったと思う。何となく、他の先進技術分野と比較して、日本独自の航空機開発・宇宙開発分野は遅れをとっている印象があるが、視力が低下する以前は航空分野への就職を真剣に考えていた僕としては、現在 小型ジェット機の開発を行っているホンダをはじめ、是非YS-11開発の負の遺産をプラスにかえる国産旅客機プロジェクトの盛り上がりを期待したいと思うのである。

本書には、YS-11の量産1号機を空が飛べる状態のまま展示する航空博物館構想(羽田空港に隣接)や、身近なところでは香川県高松市香南町の「さぬきこどもの国」にYS-11が屋外展示されていることも紹介されていた。是非、近い内に本書で学んだ新たな感慨を胸に「さぬきこどもの国」に子供と一緒に行きたいと思う。






ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック