もはや戦前である

先日 国際分野で活躍されている或る先生のお話しを聞く機会に恵まれた。

人間の歴史は「争いの歴史」でもあり、戦後から60年間 日本が戦争を行わなかった(巻き込まれなかった)ことは奇跡に近い事実であり、過去 日本に於いて大なり小なりの戦争・紛争(一揆等を含む)が60年以上起きなかった時代は無かったとのこと。確立統計の視点からも、これから先 数十年内に日本が戦争を行わない(巻き込まれない)確立の方が低いのではないかと先生は仰っていた。もちろん、日本がかつてのような好戦国的スタンツで他国に物騒を仕掛けるようなケースは考えにくいものの、戦争に巻き込まれるケースや仇討ち的(防衛)なケースは十分考えられるのではないか。
「戦後60年」という表現についても、1945年の敗戦から数えれば戦後60年だが、沖縄返還の1972年から考えると戦後35年であり、戦後60年という表現は本土中心の考え方で 日本国として考えるのであれば、多くの辛酸をなめられた沖縄の方々に対する配慮が余りにも足りないのではないか、とも問題提起をされていた。先生はこのような表現がまかり通ることも ある種の「平和ボケ」の顕れであると警鐘を鳴らされている。また、戦後35年間 日本が戦争をしなかった事実は非常に意義深いことではあるが、日本が加害者や被害者で無ければ それで良い訳ではなく、世界中が 加害者にも被害者にもならない世界を実現するために、如何に日本がリーダーシップを発揮することができたかが大切であり、その実績こそ世界に訴えるべき日本の平和主義のアプローチ・テーマである、とのこと。

先生は パーレビ国王時代のイランとその後、フセイン時代のイラクとイラク戦争、ビンラディン等とアフガニスタンのその後を例に、米国の対外政策の変質ぶりによる日米同盟の危うさについても指摘されていた。今後も日本外交にとって「国連主義」「日米同盟」が基軸であることに変わりは無いが、日本の国益として「親日国」を沢山作ることへの多くの手段による外交努力がより一層重要になるとのこと。

改めて「平和とは?」と尋ねられると、「戦争や紛争が無いこと」と答えてしまいがちだが、それは「健康とは?」と尋ねられ、「病気が無いこと」と答えることに等しい とても寂しい答弁である。よく考えると、戦争が無いこと(病気が無いこと)は平和(健康)の最低条件でしかない。本来の平和・健康・幸せというものは、もっと潤いや他者との一体感、物質的なものに限らず精神的なものを含むような気がする。今の幸せや平和が当たり前になりすぎて、平和の定義が薄っぺらくなってしまっていることは、ある種の平和ボケ状態であり、それらの状況からも 先生は「もはや戦前である」という危機意識溢れる表現をされたようである。

悲しい戦争経験から多くの年月を経た今、戦後 日本は平和主義を徹底してきたという過去の事実に対する達成感に浸るのではなく、これからは むしろ「もはや戦前である」という、ある種の危機感と自戒心を持って事にあたる必要があるのかもしれない。一種 過激な言葉だけに、使い方を誤ると誤解されそうな表現ではあるが、戦後レジームからの脱却などの表現や具現化を吟味するときに、キーワードになりそうなコトバでもあり とても印象深く感じたのである。

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